ブラームスの音楽は正直言ってあまり好きではない。スコアを見れば分かるが彼は非常に理詰めで音楽を描く人である。一音たりとも無駄な音のないその隙のなさ。これがかえって音楽を窮屈にさせてしまうような気がしてならない。

 作曲というものを一度でもしてみれば分かるが、音楽というのは和音一つを取ってみても分かるように、ただでさえ色々な拘束の中で成立しているものなのである。それなのにわざわざ余計な拘束をかけなくても、と思うのだが、それはあくまで嗜好の問題であって、ブラームスが好きな人にとっては、そういった新たな拘束がブラームスの「仕掛け」に見えるのであり、その「仕掛け」を味わうことがこの上ない楽しみである、と主張される。

 それはそれで理解はできるのだが、そういう聴き方は私の好みではない、ということだ。最近有名な某クラシック漫画の言を借りれば「本能によって捉え 感覚によって統御する」音楽が私の好むところである。
 まあ、こんなことを言っても目くそ鼻くそを笑うようなものである。なまじ楽譜が読めてしまうと純粋に音楽が楽しめなくなる良い例である。アナリーゼなんかくそくらえ、と思いたいのだけれども、どうしてもせずにはいられなくなる情けなさ。

 というわけで(?)ブラームスで私が持っているのは数が少ない。私は基本的には録音のいいものしか聴かないしまた人にも薦めないので、(ある人には悪いが)フルトヴェングラーはどうしてもセカンド・チョイスになる。だがこのシャルル・ミュンシュ/パリ管弦楽団の一枚はまさに人類の宝。このブラームスは聴ける。ちなみに楽譜を持って聴くと最後で「あれっ?」と思うはず。こういう仕掛けは私的には大歓迎。

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