朝比奈隆は日本では神格化されていた。関西に住んでいることもあってコンサートにも何回か出かけたことがある。だが特に85歳を超えられたあたりからコンサートの出来不出来が激しくなった。

 ある時は、どう聴いてもオケがバラバラで、金管はキンキン響くし、中声を分厚く弾く朝比奈さんの癖が悪い方に出て、ただテンポの重いだけの演奏のことがあった。はっきり言ってお金を返して欲しい、とすら思ったのだが周りの観衆は拍手喝采。熱狂的なファンが最前列に集まってくるいつもの光景。指揮台の上でお辞儀をする朝比奈さんのお顔が苦々しく見えた。

 新聞やテレビではまだまだ元気そうな報道がしきりとされていたが、やはり85歳を過ぎたあたりから大阪フィルの定期演奏でキャンセルが出て代役がでることが徐々に出てきた。そうこうしているうちにプログラムにもあまり出なくなった。

 シカゴ交響楽団を振る、と聞いて我が身を疑った。体調は大丈夫なのか。アメリカで客死した我が愛するシャルル・ミュンシュのことが頭をよぎった。だが彼はシカゴに行き、そして帰ってきた。演奏はまあ無難にこなした、という感じであった。地元の評論も賛否両論であった。まあそんなことより無事に帰ってきてくれたことが第一であった。

 それから東京都交響楽団とのブルックナーがCD化された。はっきりいって満足のいく出来ではない。聴く者との距離感のあるよそ行きの演奏であった。それを知ってか知らずか評論は「朝比奈の新境地」とはやし立てた。

 もう彼はダメなのか、と思い始めたとき、N響を振る、という話があった。ブルックナーの9番。最後の望みをかけて渋谷に行った。

 素晴らしい演奏だった。感動で涙が出たのは久しぶりだった。

 その後、N響と4番を演奏した後、程なくして他界された。私の一番好きな7番はついに演奏されなかった。

 だが聖フローリアンで1975年10月12日(10月11日はブルックナーの命日である(1896年))に朝比奈さんが振った7番がある。聖フローリアンはブルックナーが11歳から32歳まで音楽を学び育ち、独り立ちした所であり、死後彼の遺言に従って遺体がこの地下に埋葬された、ファンにとってはまさに聖地である。そこで生まれたまさに奇跡の演奏。

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