カルロ・マリア・ジュリーニ/モーツァルト:交響曲第40番
2005年6月18日 趣味
先日14日に他界されたカルロ・マリア・ジュリーニと言えば、「うたごころ」という使い古された彼に対する批評のごとく、レガート(音を滑らかにつなぐ奏法)とカンタービレ("歌うように"という表現指示)を多用したイタリア人らしい華麗さが売りであった。
その点はカラヤンも同じであったのだが、カラヤンは練習風景の記録を見ると「えっ、こんなところで?」というところでレガートを使っていることがあった。カラヤンなりの計算があってのことであるが、どうにも無理があるというか、狙いすぎというか、そんなところがあった。
しかしジュリーニは、例えて言うならば、カラヤンが計算ずくで華麗な音楽を組み立てているのに対し、本能というか、遺伝子に組み込まれているような、そういう自然な華麗さがあった。多用するけれども決してやりすぎない、そういったギリギリのバランスを保った演奏であった。
レガートを多用すると音のつなぎ目が分かりにくくなるのでアンサンブルが合わせにくくなる。だから演奏しながらお互いの音をよく聴き合わなければならず、聴いている方は華麗に聞こえるがオーケストラや合唱にとって非常に負荷のかかる演奏になる(ソロの場合は勿論気にする必要がない)。私は合唱をやっていたことがあるが、正直レガートを多用する指揮者は嫌いであった。
だから彼の演奏はアンサンブルがしっかりしているオーケストラで特に本領を発揮する。その点ベルリン・フィルは最高である。元々世界でもトップレベルの技術がある上に、良くも悪くもカラヤンの影響を受けてきたのでレガートは得意なのである。
ただ指揮者というのは大抵晩年になるとテンポが落ちてくる。するとジュリーニのような演奏法だと、何か胃がもたれたような感じの重たい演奏になる。この一枚を聴いていると確かにそういう印象も受ける(その点カラヤンは晩年になっても全然テンポが落ちなかったのは流石といえる)。
モーツァルトの交響曲、といえば私は40番である。モーツァルトは約50曲の交響曲を描いている(そのうち番号が付いているのは41曲)が、その中で短調は25番と40番のたった2曲しかない。しかもこの2曲はどちらもト短調なので、コアなクラシックファンは演奏時間の長い40番を「大ト短調」、短い25番(「疾風怒濤」で有名)を「小ト短調」という。
冒頭の艶やかだが憂鬱な、短二度下行を多用した主題(誰でも一度は聴いたことがあるはず)がこの曲に至るところで、まるで通奏低音のように聞こえてくるのが特徴である。この曲はモーツァルトの交響曲の中でも一二を争う華麗さを持つ曲であり、ジュリーニのために作られた、と言えば大袈裟であるが、実際彼の得意とする曲の一つであった。
入手しやすさで言えばこの一枚であるが、できればフィルハーモニア管弦楽団を指揮した旧盤の方を手に入れて頂きたい。テンポも軽やかで本当に素晴らしい。また旧盤の冒頭の部分、音量を少し大きくしてよく聴いてみると面白い(何が面白いかはヒミツ日記で)。
その点はカラヤンも同じであったのだが、カラヤンは練習風景の記録を見ると「えっ、こんなところで?」というところでレガートを使っていることがあった。カラヤンなりの計算があってのことであるが、どうにも無理があるというか、狙いすぎというか、そんなところがあった。
しかしジュリーニは、例えて言うならば、カラヤンが計算ずくで華麗な音楽を組み立てているのに対し、本能というか、遺伝子に組み込まれているような、そういう自然な華麗さがあった。多用するけれども決してやりすぎない、そういったギリギリのバランスを保った演奏であった。
レガートを多用すると音のつなぎ目が分かりにくくなるのでアンサンブルが合わせにくくなる。だから演奏しながらお互いの音をよく聴き合わなければならず、聴いている方は華麗に聞こえるがオーケストラや合唱にとって非常に負荷のかかる演奏になる(ソロの場合は勿論気にする必要がない)。私は合唱をやっていたことがあるが、正直レガートを多用する指揮者は嫌いであった。
だから彼の演奏はアンサンブルがしっかりしているオーケストラで特に本領を発揮する。その点ベルリン・フィルは最高である。元々世界でもトップレベルの技術がある上に、良くも悪くもカラヤンの影響を受けてきたのでレガートは得意なのである。
ただ指揮者というのは大抵晩年になるとテンポが落ちてくる。するとジュリーニのような演奏法だと、何か胃がもたれたような感じの重たい演奏になる。この一枚を聴いていると確かにそういう印象も受ける(その点カラヤンは晩年になっても全然テンポが落ちなかったのは流石といえる)。
モーツァルトの交響曲、といえば私は40番である。モーツァルトは約50曲の交響曲を描いている(そのうち番号が付いているのは41曲)が、その中で短調は25番と40番のたった2曲しかない。しかもこの2曲はどちらもト短調なので、コアなクラシックファンは演奏時間の長い40番を「大ト短調」、短い25番(「疾風怒濤」で有名)を「小ト短調」という。
冒頭の艶やかだが憂鬱な、短二度下行を多用した主題(誰でも一度は聴いたことがあるはず)がこの曲に至るところで、まるで通奏低音のように聞こえてくるのが特徴である。この曲はモーツァルトの交響曲の中でも一二を争う華麗さを持つ曲であり、ジュリーニのために作られた、と言えば大袈裟であるが、実際彼の得意とする曲の一つであった。
入手しやすさで言えばこの一枚であるが、できればフィルハーモニア管弦楽団を指揮した旧盤の方を手に入れて頂きたい。テンポも軽やかで本当に素晴らしい。また旧盤の冒頭の部分、音量を少し大きくしてよく聴いてみると面白い(何が面白いかはヒミツ日記で)。
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