高裁も父子関係認めず 死亡男性の凍結精子で出生
2006年2月2日内縁関係にあった男性の死亡後、凍結保存した精子を使った体外受精で女児を出産した関東地方の女性が、女児を男性の子と認知するよう求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は1日、請求を棄却した1審東京地裁判決を支持、女性側の控訴を棄却した。
死後生殖で生まれた子の認知をめぐる訴訟は、原告敗訴の松山地裁判決を高松高裁が逆転させた西日本のケースに次ぎ2例目(被告検察側が上告)。東京高裁の控訴棄却で、高裁段階での判断が分かれる結果となった。
判決理由で宮崎公男裁判長は「法律上の親子関係を認めるかどうかは、遺伝的な血縁関係、精子提供者ら関係者の意思だけでなく、子の利益、生殖補助医療の社会的相当性、現行法との整合性などを総合的に検討し判断すべきだ」と指摘。
つまり、単に生物学的に親子というだけでなく、生まれたときから父がいないという不利益や、体外受精が社会的にどの程度認められているかという情勢なども考慮すべきだ、ということ。では結局誰が判断するのかという点については「裁判所がその都度判断するのが相当」であるとしている。
ここで引っかかることが一つ。昨日の日記の内容にも関係するが、司法が法令が想定していないような事態に対して、社会情勢や世論といった法令の枠組みの外で積極的に解釈していくことは適当なのだろうかということ。ライブドア事件で見てきたように、社会情勢や世論は一日で変わりうるものである。裁判というものは現行法の枠組みをできるだけ適用していった上で、それでも足りない部分について裁判官が考慮するべきものだと自分は考えている。その点今回の判決は私にしてみれば拡大解釈のしすぎのような気がする。
なお、高松高裁ではこれと逆の判決がででいるが、公開されている判決文を見ると
「確かに,認知の訴えが制定された当時は,自然懐胎のみが問題とされており,同規定は,人工受精による懐胎を考慮して制定されたものではない。しかしながら,認知の訴えは,婚姻外の男女による受精及び懐胎から出生した子について,事実上の父との自然血縁的な親子関係を客観的に認定することにより,法的親子関係を設定するために認められた制度であって,その観点からすれば,認知請求を認めるにつき,懐胎時の父の生存を要件とする理由はないというべきである」
としている。つまり、現行法を解釈する限り、認知は生物学的に親子であるが法的に親子関係がない場合にそれを認める制度であって、請求時に父親がいないということは認知請求を拒否する理由にならない、としている。この判決はどちらかと言えば現行法の枠組みの中で精一杯解釈しようとしているもので、その点では私の考えに近く評価できる判決である。
といっても司法に関しては素人なのでとんでもない間違いをしているかも知れない。その点はご容赦願いたい。
コメント