オイゲン・ヨッフムという指揮者はバイエルン放送交響楽団の常任指揮者を長くつとめた後、ハイティンクと共にアムステルダム・コンセルトヘボウを率いていた。ブルックナーの録音で特に定評が高いが、ベートーヴェンもなかなか内容が濃くて好きだ。

 この一枚は1961年にバイエルン放送響の常任指揮者を辞任した頃の演奏で、熟知したオーケストラの指揮とあって安定感もあり、全体のバランスもよく本当にオーソドックスな「運命」である。しかも何回も聴きたくなる。「運命」は余りにも有名すぎて逆に意識してしまってなかなか聴かないのであるが、この一枚は別である。

 もちろんフルトヴェングラーのベートーヴェンは別格であるのは言うまでもないが、あまりにも密度が濃すぎて、私は一度聴いたら2〜3ヶ月は聴く気がしない。普段から聴くならこの一枚である。この1961年の演奏も長年なぜかCDが出ず、やっと出て買ってみても音質が今ひとつであった。仕方なくアナログレコードを電子データに落としたものを聴いていたのだが、去年ようやく満足できる音質のものができた。何で最初から出してくれないのか。
 カール・ベームという指揮者は何故か日本で人気があって、最晩年の頃など日本ではカラヤンやバーンスタインと同じような扱いを受けていた。勿論偉大な指揮者ではあるのだけれど、正直晩年の頃にはもう完全に枯れてしまっていて、映像でみたら指揮棒がどう動いているのか分からないような指揮しかできなかった。皮肉なことにそのような指揮でまともな演奏ができるのは世界でも超一流のオーケストラ、特にウィーン・フィルであり、またウィーン・フィルが彼に最大限の尊敬を払っていたこともあって、最晩年の録音は(好みを別にすれば)音の良い演奏であるという結果になっている。

 私が本当に薦めたいのはこの一枚ではなくて、ベームが1956年頃にウィーン交響楽団を指揮した一枚である。脂ののりきった頃の演奏で、現在多く出回っている晩年の演奏とは一線を画すエネルギッシュな名演である。しかし残念ながら現在廃盤である。それに対してこの一枚は、ウィーン・フィルは確かに素晴らしいが、いかんせんテンポが遅すぎる。同じウィーン・フィルを振ったバーンスタインの一枚と比べるとやはり見劣りする。何よりこの一枚は本当のベームではないように思う。

5月25日の日記

2005年5月25日
ちょっと忙しいので、また後で書きます。
 ズデニェク・コシュラーという指揮者を知っている人は相当の通であると思う。チェコスロバキアの指揮者であり、親日家として知られ何度も来日して国内のオーケストラを指揮しておられた。チェコ・フィルと来日されたこともある。

 このコシュラー、N響とただ一度だけ第九を演奏しておられる。確か1981年だったと思う。実はこれが私が生まれて初めて聴いた第九であった。
 この第九は私の中では未だに最高の第九になっている。冷静に考えてみても、N響が珍しく燃えていたし、ソリストや合唱もオーケストラに引っ張られるようにいいパフォーマンスをしていた。何より誰にとってもそうであるように「初めて」というものには特別な意味がある。

 この演奏は実はNHK-FMでも放送され、たまたまその演奏を録音したテープが私の実家に残っていた。この間帰ったとき見つけて聴いてみた。やはり名演である。燃えていながらも艶やかな響きは失われていない。これ以上力を入れたら響きが壊れてしまう、ギリギリのところでとどまっている。それをコントロールできるのはやはり指揮者の力量である。テープでは不安なのでデジタルデータに落とした。これで当分は安心である。

 CDの説明をしていないが、元々リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」について説明しようとしていたのであった。この曲に限って言えばカラヤンとベルリン・フィルの一枚が素晴らしい。前回散々けなしたカラヤンであるが、なぜかリヒャルト・シュトラウスの演奏はいいものが多い。それを探してしたらこの一枚が検索にかかった。このCDは偶然私も持っている。カラヤンほどではないが、確かに名演である。
 そう言えばコシュラーは、なぜかモーツァルトやリヒャルト・シュトラウスが得意であった。チェコの指揮者と言えばスメタナ、というステレオタイプの考えは捨てた方がいい。
麻帆良学園中等部2-A かなかな組 CD キングレコード 2005/02/16 ¥1,050輝く君へ

 たまたま見たアニメのEDが良かったので買ってみた。こういうのを買うのはもはや恥ずかしい齢になりつつあり、実際かなり恥ずかしいのであるが、気にしないふりをすることにしている。知り合いの若い子に聞いたところ、原作は今かなり人気があるらしい。この曲もオリコンのベスト10に入ったとか。時代だなあ、と思う。

表題の曲もいいが、カップリングされている"believe"という曲もいい。「頑張ることだけが明日につながっていくから」という歌詞には、今の自分の立場が重なって、その通りだなあ、と思う。

私信

2005年5月23日
リンクしてくださった皆様への私信です。ヒミツ日記のみです。
 ドイツのピアニストであるガンビーラは、inprovisation、つまり即興演奏しかしない事で知る人ぞ知る存在である。当然の事ながらコンサート活動が中心で録音はほとんどない。その意味で非常に貴重なCDである。この音楽は一輪の蕾が開き、満開の花となり、そして散っていく過程を40分あまりの演奏で表現したものである。

 日本ではクラシックというよりヒーリング音楽のカテゴリーに入れられる事が多いので余りなじみがないが、素晴らしいピアニストである。アルゲリッチとは全くの反対で、静謐という言葉がまさにふさわしい。

 私はこの人が来日していたとき、偶然あるホテルでお会いしたことがあった。CDを持っている、とたどたどしいドイツ語でしゃべるととても喜んでくれた。そして私のために一曲弾いてくださった。

 私は即興だと思っていたが、意外にもバッハのフランス組曲第5番であった。通常速いテンポのBourre(ブーレー)をアダージョで弾いたのには驚いたが、今まで聴いたどのバッハよりもチャーミングであった。若き日の貴重な思い出である。

ガンビーラ CD インディペンデントレーベル 1989/05/01 ¥2,940
 このコンサートは、バーンスタインの最後のコンサート、という触れ込みになっているが、1990年に札幌のPMFを振ったときのコンサートであって、本当のラストコンサートではない。本当はこのあとボストンのタングルウッド音楽祭でボストンフィルを振ったときが最後であった。

 20世紀で世界に大きな影響を与えた指揮者は、という問いに答えるのは難しいが、演奏そのものを度外視すればやはりカラヤンとバーンスタイン、それとフルトヴェングラーになるであろう。

 カラヤンとバーンスタインは同時代を生きながら全く対極にある人間であり、演奏そのものをとってみればどちらも必ずしも一流とは言えなかった。バーンスタインはマーラーなど当たりもあるが外れも多い。カラヤンは音は確かに素晴らしいが内容がない。しかしクラシックを一般大衆に身近なものにしただけでなく、多くの知識人にも影響を与えた点で現代文化に対する功績は大きい。フルトヴェングラーはそれに加えて演奏が素晴らしく、まさに別格であった。

 私にとって見れば、バーンスタインは今の道に進むきっかけを与えてくれた人物であった。彼が言った"obsession"という言葉が、私の背中を押してくれた。その意味で彼は私の心の支えでもある。おそらく私のような人が世界中にいるのだろう。
 私の周りにピアノを習っている(あるいは、習っていた)人にアルゲリッチを知っているか、と聞いたら、何故かすべての人が知らない、という。聴いたことがない、という人も多い。(もちろんプロならみんな知っているのだろうけど)この事実は私の中では長い間謎となっている。

 とにかく、だまされたと思って一度聴いてもらったらいい。大袈裟に言えば、多くの人がピアノ演奏やピアニストというものに対して持っている印象はことこどく覆されるだろう。クラシック鑑賞を趣味としていた私ですらそうだったのだから。

 チャイコフスキーはピアノ協奏曲を確か2曲書いているはずであるが、第二番はほとんど演奏されないし、CDも見かけない。その代わり第1番は知らない人がいないくらい有名である。知らない、という人も聴いたら分かると思う。

 アルゲリッチはこの曲を得意としていて、録音もいくつかある。ものすごくマイナーだけれども、私の愛聴盤はポーランドのアコードという会社が出している一枚。ライブ録音なのだが、聴衆が曲が終わるのを我慢できず、演奏が終わらないうちに拍手喝采を始めるというすごい演奏。

 ここでお薦めする一枚はそれに勝るとも劣らない演奏であり、ラフマニノフの3番というこれまたすごい演奏が付いている、お買い得な一枚である。

ブックマークですが

2005年5月20日
折角「ランダムジャンプ」という機能があるので、ランダムに飛んだ方の日記を拝見して「これは…」と思った方の日記を登録させて頂いております。よろしくお願いします。
 「大地の歌」は李白などの漢詩の独訳にマーラーが曲を付けたもので、交響曲とはいうもののアルトとテノールの独唱が入る。交響曲と言うよりはオーケストラがバックの歌曲集、といった雰囲気もある。

 この交響曲には「大地の歌(Das Lied von der Erde)」という副題がついているが、よくある「交響曲第○番」という番号がない。

 それまでマーラーは交響曲を8曲書いていた。彼の尊敬するベートーヴェンもシューベルトも交響曲「第9番」を書いた後他界している。マーラーは9曲目の「大地の歌」に敢えて番号を付けず、友人たちに「これは番号はついていないが9番目の交響曲である」と念押しし、その後10番目の交響曲である「第9番」を完成させ、「第10番」の作曲にとりかかった。だが皮肉にも彼は第10番を完成しないまま他界してしまった。その意味では彼も「第9番」の呪縛から逃れることができなかった。

 大地の歌もコンサートでは人気のある曲であるが、どれか一枚、となるとこの一枚になる。ワルターを薦める人も多いが、私はこの一枚が手放せない。
 何と言っても、第1楽章「現世の悲しみを歌う酒宴の歌」が素晴らしい。私は普段ほとんど第一楽章しか聴かない。テノールのフリッツ・ヴンダーリッヒは私の一番好きなテノールであるが、この曲を録音した9日後に階段から転落して不慮の死を遂げた。この一枚は彼の白鳥の歌でもある。
 ラフマニノフの2番は確かにルービンシュタインもライナーも脂がのっている時期で、緊張感があってすごい。しかしオーマンディ/フィラデルフィア響の一枚には及ばないと思う。フィラデルフィア響の艶やかな響き、音楽をやっているのが楽しくて仕方がない、とでもいいたげなルービンシュタインのピアノ。まさに心が洗われるような一枚。

 ラフマニノフの2番は曲を聴いたらほとんどの人が「ああ、あれか」と思う曲だと思うのだが、なかなか自信を持って薦められる一枚がない。リヒテルは確かに名演だけど、あの憂鬱な雰囲気は万人向けではないと思う。それがラフマニノフだ、と言われれば文句は言えないけど。

 SP復刻版で音質はものすごく悪いが、この曲にはラフマニノフの自演したものがある。雑音だらけだが確かに上手い。

 ちなみにこの曲、交響曲にピアノをつけたのか、と思わせるほどオーケストラの響きが厚く、コンサートではピアノがオーケストラに負けてしまってよく聞こえない(特に第一楽章)ことが多い。その点編集時に音量調整ができるので、この曲についてだけいえばCDの方が絶対にいい。

 

 

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